岡弁(岡山県倉敷市の弁護士)ブログ

岡山県倉敷市で法律事務所を経営する弁護士(若手→中堅)が日々の雑感をつぶやきます。紛らわしいですが岡山弁護士会の公式ブログではありませんのでご了解ください(笑)

山内昌之×佐藤優「大日本史」読了。

永らく積読状態となっていた山内昌之氏と佐藤優氏による対談本、「大日本史」をようやく読みました。 

大日本史 (文春新書)

大日本史 (文春新書)

 

 

大日本史」と銘打たれていますが、テーマは「近現代史」です。

正直に言うと、割とよく知られた話が多かったという印象ですが、それでも個人的にハッとさせられるポイントが随所にありました。

備忘のため書き残しておきます。

  • 水戸家における極端な尊王攘夷論(いわゆる水戸学)は徳川家温存のための保険だったのでは、という点に言及している文献は、井沢元彦氏の著作以外で初めて見た。

  • 戦前における国会議員の宮中席次は非常に低かった。本省次官・局長よりも下。貴族院衆議院の議長ですら大将や大臣の下。

  • 日清戦争は、国民国家が編成した軍と私兵(李鴻章率いる北洋軍閥)の戦い。

  • あるグループに対して穏健な立場をとればテロの対象とならないかというとそうではなくて、テロリストは穏健な人物を叩いていくことで対立を煽るという論理に立っている(第一次大戦におけるサラエボ事件。フランツ・フェルディナントはスラブに対して宥和的な立場であった)。

  • 永田鉄山の評価。満州事変の国内における法的正当性を事後的に整えさせたのは当時陸軍省の軍事課長に過ぎなかった永田(朝鮮軍越境についての裁可を直接天皇から得ようとする参謀総長に対し、そのような上奏をしないよう直言し、あくまでも内閣の承認という形式にこだわった)。国策を進めるうえで必要な法的正当性という視点まで持っていたという点において、同じ天才肌の軍人でも石原莞爾よりある意味「危険な存在」であった。

  • 満州国の建国は、第一次大戦後にウィルソンが提唱した民族自決主義に立脚したものだった。第二次大戦後、満州族女真族は解体されてしまった(いわばエスニック・クレンジング)。

  • 天皇機関説事件は、反エリート闘争としての側面を持つ。天皇機関説を攻撃した蓑田胸喜は帝大に残れなかったというルサンチマンを抱えていた。京大の滝川事件も口火を切ったのは蓑田。そのようなルサンチマンを抱えた人物の反エリート闘争に向けたパワーを軽視してはならない。

  • 広田弘毅の評価。盧溝橋事件の際、実は陸軍統帥部は不拡大方針であったが、外務大臣であった広田が「支那は物事の約束を守らない」といった表面的な印象論で撥ねつけた。なお、この際に広田に同調して参謀本部に圧力をかけたのは、戦後、リベラル派の評価を受けている海軍大臣の米内光政。トラウトマン工作の打ち切りを決定したのも広田(多田駿参謀次長が「あくまで交渉継続を」と泣きついたのに対して恫喝した話は有名)。このような人物が大事な時期に外務大臣であったのは我が国の不幸。

  • 外務官僚の苦心。ポツダム宣言受諾通告における『天皇の国家統治の大権を変更する要求を包含し居おらざることの了解の下に受諾す』は、国体護持を条件としておらず、あくまでも「了解」していることを意味しているに過ぎない。すなわち、国体護持を連合国側に対する降伏の条件としてしまうと、無条件降伏を求める連合国の了解を得られず、かと言って無条件降伏は国内情勢が許さないという状況下で、このような苦肉の策がとられた由。なお、よく知られた「subject to」の意訳についても言及がなされている。

 

 

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