吉田松陰「留魂録」を読みました。
吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫)/講談社
大河ドラマであまりにも欲求不満が溜まったため、
思わず手に取ってしまいました。
言わずと知れた、吉田松陰の留魂録。
死が間近に迫っていることを感じた松陰が
死の直前に一気に書き上げた遺書ともいうべき絶筆です。
大河などだらだらと何時間も見るより、
本書で松陰の生の声に触れる方が、
数百倍も心に残るものがあるでしょう。
(ゼロは何倍してもゼロであるという点はひとまず措いておきましょう)
留魂録の冒頭には、以下の句が収められています。
身はたとひ
武蔵の野辺に
朽ちぬとも
留め置かまし
大和魂
「大和魂」というのは、おそらく尊王攘夷の心ということなのでしょう。
「尊王攘夷」というと、偏狭な排外主義運動というように捉えられがちな面があることは否定できませんが、松陰自身は、自ら海外渡航を企図したことなどからも明らかであるように、偏狭な排外主義者ではなかったように思われます。
そして、もし松陰が密航に成功していたら、日本の歴史は全く違った展開を見せていたのではないでしょうか(そして、その可能性は十分にありました)。
そもそも松下村塾は、密航に失敗して萩で幽閉されていた一時期に開かれていたものですし、松陰の松下村塾がなかったら、長州藩が幕末政局で表舞台に出ることも無かったかもしれません。
そうなると、あれほど過激な倒幕運動が盛り上がりを見せることも無く、雄藩連合のような政体へ移行したかもしれません。
松陰自身は、近代日本における最大の自由民権家になっていたかもしれませんね。
松陰が現代日本に生きていたら、どのような感想を抱くでしょうか。
興味は尽きません。
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