孝明天皇崩御から150年
本日2017年1月30日は、孝明天皇が崩御されてからちょうど150年目に当たるそうです。
なお、150年前の今日は1867年1月30日ですが、この日は旧暦で言うと慶應2年12月25日に当たります。
大政奉還が慶應3年のことですから、正に時代が大きく転回しようとしている時期ということになります。
孝明天皇の死因については、定説では天然痘とされていますが、当時から暗殺説が唱えられていることで有名です。
いかにも胡散臭い話ですが、倒幕開国派にとってあまりにもタイミングが良いこと、回復途上の急変であったことなどから、学者や医師までも巻き込んでの大論争になっています。
孝明天皇暗殺説に触れている本は、テーマがテーマだけにそれほど多くはありませんが、とりあえず簡単に手に入りそうなこちらの書籍をご紹介。
孝明天皇と言えば、会津藩主松平容保公に対して、八月十八日の政変(孝明天皇の密命により、会津藩と薩摩藩が朝廷の周辺で暴虐の限りを尽くしていた長州藩と急進派の公家を御所から排除した事件)に際し、直筆の御宸翰を下されたことで有名です。
私も実物を拝見したことがあります。
容保公は、終生この御宸翰を肌身離さず所持していたとのこと。
後に逆賊の汚名を着せられることになってしまった公にとって、この御宸翰が唯一の心の拠り所だったのでしょう。
そういえば、政府が明治維新150周年記念事業に出資して(薩長による)明治維新の偉業を称えるとか言っているそうですが、このような薩長史観に毒された事業に政府が出資するなんて噴飯モノですね。
歴史を小学生から勉強し直した方が良いと思います。
おっと、つい熱くなって脱線していましました(笑)
さらに、孝明天皇暗殺説とも関連して、明治天皇すり替え説までが唱えられており、陰謀論が好きな人にとってはたまらない題材を提供しています。
明治天皇すり替え説というのは、孝明天皇の暗殺ないし病死に引き続き、真の皇太子である睦仁親王に替え、南朝の末裔である大室寅之祐を明治天皇として即位させたとする説です。
明治天皇すり替え説について興味のある方は、とりあえずこちらをどうぞ。
陰謀論ばかりではアレなので、もう少し学術的な本も一冊ご紹介。
幕末史における孝明天皇の立ち位置については、とりあえずこちらをオススメしておきます。
孝明天皇がもう少し長生きされていたら、日本の歴史は間違いなく違う歩みをしていたでしょう。
幕末の会津藩の悲劇は起こらなかったかもしれませんし、少なくともそう簡単に薩長の思いどおりにはならなかっただろうと思われます。
場合によっては、完全に世界の近代史が書き換わっていた可能性もあります。
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