安藤優一郎「大名行列の秘密」を読みました。
大名行列の秘密 (生活人新書)/日本放送出版協会
「超高速!参勤交代」という映画があるのですが、以前、修習生さんにおすすめされていたのを、このたび観てみました。
超高速! 参勤交代 Blu-ray/松竹
そして、その副読本として手に取ったのが、本日ご紹介する「大名行列の秘密」です。
みなさんは、「大名行列」といった場合、どのようなシーンを想像しますか?
街道筋で、サムライが「下に~下に~」とかけ声を上げながら、エライ人を駕籠に乗せた大名行列がゆっくりと進んで行き、道端で町人や農民が土下座している様子でしょうか。
このようなシーンは実は正確ではない、ということはこの本を読めばよく分かります。
まず、「下に~下に~」というかけ声について。
これは「頭が高い~」とか「土下座しろ~」という意味ですが、このかけ声を使ってよいのは、将軍家のほか、御三家(尾張、紀州、水戸)、御三卿(田安、清水、一橋)だけだったそうです。
通常の大名の場合は、「片寄れ~片寄れ~」(脇に寄れ)というかけ声が使われたとのこと。
自分の領内は別として、大名行列が通るからといって庶民は土下座していたわけではないのですね。
なお、大名同士が鉢合わせた場合、格下の大名が駕籠から降りてそれなりの礼をとらないといけないので、格下の大名はそれがイヤで脇道に逸れたんだとか。
今も昔も人が考えることは一緒ですね~
それから、と~ってもゆっくり移動しているイメージのある大名行列ですが、なるべく宿泊日数を減らさなければならない(経費節減のため)ので、1日に35~40㎞は移動したそうです。
そうなると、それなりに早足で歩かないと無理ですね。
テレビドラマのシーンに出てくるような「のろのろ行軍」では、1日にそれほど移動するのは無理でしょう。
目からウロコだったのは、大名行列というものが、街道筋よりも江戸市中でよく見られた現象であるということ。
考えてみれば当然です。
参勤交代のため、三百諸侯の約半数が江戸市中に滞在していることになるのですから。
一斉登城の日など、大名の通勤ラッシュで市中に大名行列が溢れんばかりだったとのこと。
遅参は決して許されないので、それを見越してかなり早めに出立したそうです。
現代と同じような状況が江戸の町にもあったというのは面白いですね。
そして、この本を読んで強く感じたことは、幕藩体制下において、参勤交代というシステムがいかに大名の統制に役立ったかということ。
徳川幕府滅亡の主因は、参勤交代制の緩和ではなかったかとさえ思えます。
実際、文久2(1862)年に参勤交代が緩和され、それから5年で幕府は滅亡してしまいます。
大名行列というものに少しでも興味が湧いた方にはおすすめの一冊です。
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