池上彰「おとなの教養」を読みました。
おとなの教養―私たちはどこから来て、どこへ行くのか? (NHK出版新書 431)/NHK出版
最近読んだ本を順番にご紹介。
20万部以上を売り上げたというこちらの本。
著者はお馴染み、池上彰さんです。
池上さんの説明の分かりやすさは改めて説明するまでもないでしょう。
難しいことを分かりやすく説明しようとする姿勢・技術は、我々弁護士も学ばなくてはなりません。
この本では、どのような職業につく場合であっても、基礎的な教養として身に付けておくべきものがあると提唱されています。
この「基礎的な教養」のことを、ギリシャ・ローマ時代からの伝統にしたがって「リベラルアーツ」と呼んでいます。
ヨーロッパでは、文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、天文学、音楽の合計7科が知識人の基礎的教養と伝統的に考えられています(いました?)。
ヨーロッパの伝統を受け継いでいるアメリカでは、大学の課程でほとんど専門教育をしないそうです。専門的な教育は、ロースクール、ビジネススクール、メディカルスクールで行い、大学は「すぐには役立たないこと」を一生懸命学ぶところ、という意識があるのだとか。
なんと、マサチューセッツ工科大学では、一般の大学生にピアノを教えているのだそうです。
現代でも「音楽」が知識人の基本的教養と考えられているのですね。
リベラルアーツ教育によって、視野の狭い専門家(法律バカ、医学バカ、経営バカ)が出現することを防止するのでしょう。
我が国においても、かつては司法試験科目でも「一般教養」という科目がありました。
法律バカって本当に困ります(あくまで私の主観ですが、意外と多い気がします)。
非常に低次元な話で恐縮ですが、今まで出会った裁判官の中に、「銀行の窓口が午後3時で閉まる」ということを知らない方がいました。この裁判官は、常日頃「訴状を見ただけで結論が見える」などと豪語していたそうです。ああ、恐ろしや。
こんな低次元な話はともかくとして、良識的な法律家であれば「社会的に妥当な解決は何か」ということを考えながら事案の解決に当たるものです。
しかし、これが法律バカ(弁護士、裁判官を問いません)の手にかかると「法律がこうなってるんだから」「法律の解釈ではこうだから」(ひどいときは「余所の裁判所はこう判断しているから」)と一方的に結論付け、「社会的に妥当な解決」ということを完全に頭の中から排除します。
法律は不完全な存在である人間が作ったものですから、形式的に適用するだけでは公正な社会は実現できません。
民主的な過程で作られた法律の規定を逸脱することは許されませんが、少なからず法律を運用する者の「良心」によって補完される必要があります。
そして、そのような「良心」の基盤となるものが「教養」なのではないでしょうか。
すなわち、高度専門職には、高度の技術を有するがゆえに、その濫用を防止すべく基礎的な教養の修得が求められていると思います。
医師は言うに及ばず、弁護士や裁判官であっても、その高度の技術の使い方を一歩間違えれば、社会や人々に多大な迷惑をかけてしまうことは避けられません。
そのような例は、あえて挙げるまでもなくいくらでも思い浮かびますよね?
そんなわけで、「法律家たる者、自覚的に教養を身に付けるべきである」というお話でした。
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