森山優著「日本はなぜ開戦に踏み切ったか」を読みました。
連休中の読書記録。
森山優氏の「日本はなぜ開戦に踏み切ったか」を読みました。
日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」 (新潮選書)
- 作者: 森山優
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/06/01
- メディア: 単行本
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ここでいう「開戦」とは、言うまでもなく日米戦争のことですが、なぜ日本は「対米開戦」という(今から思えば)最悪の国家意思決定をするに至ったのか、当時の日本の国家意思決定システムの観点から論じた好著です。
少なくとも国の上層部には、アメリカを相手に戦争をやって勝てると思っていた人は誰もいなかったし、全員とも日米戦争だけは避けなければならないと考えていたのに、なぜ結果的に対米開戦という不合理な意思決定をするに至ったのか。
単純に言い尽くすことはできませんが、この本の結論的な部分を強いて短くまとめると、
官僚的な組織的利害(セクショナル・インタレスト)の追及によって国論の統一が図れなくなったときに、組織的利害を超えた国家的利害の観点から合理的な意思決定できる主体を欠いていたため、「避戦」という合理的な意思決定をすることができず、「開戦」という極めて場当たり的で不合理な国家意思決定がなされてしまった
ということになるのではないでしょうか。
一言で言えば、
開戦決定をしたのでなく、避戦決定ができなかった
のだと。
よく言われているように、維新の元勲や元老が力を持っていた時代(例えば日露戦争の時代)には、このような意思決定主体を元勲や元老が担っていたわけですが、この時代には、すでに元勲・元老は全員が世を去ってしまっており、そのような超法規的存在による制御が効かなくなっていたということでしょう。
本書の中では、そのような場当たり的な意思決定状況について、意思決定論における「ゴミ箱モデル」が援用されているなど、組織の意思決定論としても興味深く読むことができます。
現代の政治や社会においても、本書において述べられている「両論併記」や「非決定」と類比的に捉えることの可能な事象が多数発見できるのではないでしょうか。
もちろん、本書はその前提として、(極めて複雑な経過をたどった)昭和15年~16年ころの国策の推移についても分かり易くまとめられており、日米戦争に至る経緯についての基本的知識を整理するうえでも有益です。
日本近代史や国家機構の在り方について考える上で非常に参考になる本でした。