世界史を勉強し直す。
もういちど読む山川世界史/山川出版社
佐藤優氏は、世界情勢を理解するためには、
資本主義
民族問題
宗教紛争
についての教養が不可欠であるとし、それを踏まえた上で世界史をアナロジカルに理解することを提唱している。
↓ ↓ ↓
佐藤優「世界史の極意」を読みました。
最近、世界情勢に関する本を色々と読み漁っているのだが、世界情勢を正確に理解しようと思ったら、資本主義、民族問題、宗教紛争、世界史の知識がどうしても必要であることを痛感した。
それも、付け焼刃的な知識では不十分であり、体系的な知識・理解がどうしても必要だと感じている。
そこで、人生の遅れを取り戻すために、巷で評判の「もういちど読む山川世界史」を手に取ってみた。
毎日少しずつ、学生に戻ったような気持ちでページをめくっているが、学生時代には気付かなかったことが色々と見えてきて面白い。
例えば、世界史そのものとは関係ないのだが、歴史の教科書では、何の説明も無いまま、一般的でない単語が頻出する。
このようなことは、世間に流通している書籍では、専門書でもない限り、それほど多くはない。
世間に流通している書籍の場合、一般的でない用語が登場する際には、必ず何らかの説明がなされているものである。
しかし、歴史の教科書には、次から次へと聞き覚えのない単語が羅列されており、これでは「歴史は丸暗記だから苦手」という感想を抱く生徒が続出するのも納得である。
「教科書の性質上、仕方ない。教師が適宜埋め合わせをすれば良い。」という考え方もあろうかとは思う。
事情はよく知らないのだが、教科書のページ数を制限しなければいけないという理由でもあるのだろうか。
現在では、諸外国の歴史の教科書が翻訳されて発売されており、日本でも手に入れることができるのだが、それらを見ると驚くほど分厚いものが見られる。
しかし、本来、歴史をしっかりと学び、しっかりと理解するために、多くのページ数を要するのは当たり前で、我が国で流通している現在の教科書は「薄すぎる」と評価するのが適切であろう。
このような無味乾燥な教科書で、生徒たちにしっかりと歴史を学ばせるためには、教師において説明を補充することがどうしても必要となるが、このような方法では、教師の能力・実力によって、教育水準に差が出てしまうことは避けられない。
むしろ、教育水準の維持という観点からは、教科書中に十分な情報を網羅した上で、教師が適宜不必要な情報を取り除いていくという作業の方が有効かつ簡便であろう。
といっても、私は、一部の大学受験参考書のようにもっともっと細かい知識を網羅すべきであるなどと言っているのではない。
最低限、教科書に書いてあることを理解するうえで必要な背景知識や参考情報、専門用語の説明などにもっと紙面を割くべきだと言っているのである。
大学受験指導では実践されていると思うのだが(たぶん)、歴史の縦軸・横軸で色々な知識が繋がっていくことを実感できれば、間違いなく歴史は面白い。
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