「翔ぶが如く」を読んでいます。
現実逃避気味にブログ更新。
昨年、生まれて初めて鹿児島に行きました。
それがきっかけで、ずっと読もうと思いながら読んでいなかった長編に着手。
司馬遼太郎大先生の「翔ぶが如く」全十巻(文庫)です。
ちょっとずつ、ちょっとずつ読み進めています。
翔ぶが如く〈1〉 (文春文庫)/文藝春秋
昨年の秋から冬にかけて、立て続けに薩長土肥を訪問したこともあり(たまたまです。)、幕末維新~明治初期の日本の実像にあらためて注目しています。
本書は、明治初期の征韓論に関する政争のあたりから西南戦争までを描いた歴史小説ですが、明治初期の日本の「空気」というものがどのようなものであったのか、追体験するには最適のものと言えるでしょう。
また、社会の大変革期に人々がどのようなことを考えながら、新しい制度設計をして行ったのか。
歴史に学ぶべきことには限りがありません。
司馬遼太郎の筆力にはいつもながら脱帽。
しかし、以前このブログでも取り上げたとおり、司馬遼太郎の筆力が凄すぎて、多くの日本人が司馬遼太郎の叙述を全て事実であると思い込んでいることは問題です。
特に、織田信長、坂本龍馬、高杉晋作など人気のある歴史上の英雄に自分をなぞらえている政治家や経営者には要注意と思っています。
司馬遼太郎やその他の歴史小説を読んだに過ぎない程度の認識でこれらの人物に心酔し、「どんな反対にあおうと、強い意志を持って断固やり遂げる!」とか思っちゃってる人を見ると、とっても痛々しいです。
当たり前ですが、歴史上の英雄を「英雄足らしめている要素」(必ずしも当該人物の主観的事情に限られません)は、到底、歴史小説で描き切れるものではありません。
また、「英雄足らしめている要素」により、様々な弊害や迷惑も生じたはずですが、これがきちんと描かれることはほとんどありません。
当たり前の話ですが。
なので、私は織田信長や坂本龍馬や高杉晋作を尊敬しているなどとは軽々しく口にしないようにしています。
吉田松陰にはかなり心酔しているのですが、マネしようとは思いません。
イカれ過ぎてて到底マネなんてできません。
話がだいぶ脱線しました。
すいません。
読書日記 ブログランキングへ
にほんブログ村
岡山の弁護士 にしがわ綜合法律事務所の公式ウェブサイトはこちら