岡弁(岡山県倉敷市の弁護士)ブログ

岡山県倉敷市で法律事務所を経営する弁護士(若手→中堅)が日々の雑感をつぶやきます。紛らわしいですが岡山弁護士会の公式ブログではありませんのでご了解ください(笑)

袴田事件の再審開始決定に寄せて

昨日大きく報道されたとおり、いわゆる「袴田事件」の再審開始決定がなされると共に、拘置の執行が停止され、袴田さんが釈放されました。

袴田事件は、法曹界(少なくとも弁護士業界)では、長い間「冤罪の可能性がきわめて高い」と言われ続けてきた事件の一つです。

事件の内容などについては、ウィキペディアなどをご覧いただくとして、今回の出来事を通して私が感じたことをとりとめもなく綴ってみたいと思います。


まずは、「人権」の価値について。

近代立憲主義において確立された「人権」規定は、憲法によって国家権力の行使に歯止めをかけ、一般市民の自由が侵害されないようにするというもの。

「冤罪によって刑罰を科せられない」というのは、人権規定の保障する自由の中でも、もっとも基本的な価値の一つです。

当然でしょう。

全くの濡れ衣で、数十年間も自由を奪われたり、生命を奪われたりしてはたまったものではありません。

どこかの国のトップが、国会答弁で「憲法が国家権力を縛るものという考え方は、王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考え方」だと宣(のたま)ったそうですが、笑止。

国家権力による人権侵害は現在も着々と進行中です。

また、その方がトップを務めているどこかの国の政権与党が掲げている憲法改正案は、人権を「公益及び公の秩序」により制限できるとするものになっていますが、笑止。

人権よりも「公益」や「公の秩序」の価値を上に置くならば、仮に確定死刑囚について無罪の新証拠が出てきた場合も、「法的安定性」という「公益」や、一般市民の心情に与える悪影響を防止するという「公の秩序」のため、有罪判決の見直しは罷りならぬという結論になってもおかしくありません。

たぶん、この憲法改正案の起草者は、そのようなことを想定しているはずがないとおっしゃるでしょうが、そのようなことを想定しているかどうかは問題ではありません。

そのような運用を可能とするものであるかどうかが問題なのです。

なぜかと言えば、憲法というもの自体が、国家権力(=政府)に対する不信感をベースに創られているものだからです。

国家権力は信用できないというのが、近代立憲主義の基本的な価値観なのです。

「起草者もそう言っているし、今の世の中でそんな不合理なことが起こるはずがない」という発想は、憲法の本質に反するものと言えます。

もちろん、人権と言えども無制限のものではありません。
多くの人間が狭い空間に共生している以上、「自由」を制限する必要も当然出てきます。
つまり、共生している他者の人権を保護するために、人権を制限しなければならない場面が出てくるのです。
このように、人権制約の根拠を「人権」に求める考え方を、人権の「内在的制約」と呼び、「公共の福祉」という文言にこれを読み込むのが通説的見解と言われています(内在的制約説)。

まあ、こんな価値観の方がトップを務めている国なんだから、国家権力による人権侵害が無くならないのも当然と言えば当然ですよね。


次に、冤罪が起こる状況について。

袴田事件は、捜査機関による証拠の捏造が疑われているケースですが、冤罪が起こる多くのケースでは、容疑者を真犯人とみなしたがる「空気」が、強力な磁場を作っていると言われています。

山本七平が「空気の研究」で述べているとおり、近代日本社会を支配しているのは「空気」なのではないでしょうか。

「空気」というと分かりにくいかもしれませんが、「空気」を作っているのは、マスメディアによる無責任な報道であったり、コメンテーターによる無責任な発言であったり、一般市民による無責任な思い込みであったりするわけです。

多くの冤罪において、濡れ衣を着せられた方は、社会的には「嫌われ者」だと言われています。

近所の人とのコミュニケーションがうまくいっていなかったり、近所の人から何となく気味が悪いと思われていたりするケースです。

そのような「善意」の「塵」が積もって、特定の「嫌われ者」を真犯人に仕立て上げようとする強力な磁場が形成されるのです。

そして、その「磁場」が捜査機関の捜査方法にも大きく影響します。

証拠の捏造までするケースは例外的と言えるかもしれませんが、「手段を選ばず」容疑者を「落とす」ということは、現在でも往々にして行われていると推測されます。

少なくとも、あえて被告人に有利な証拠を任意に開示せず、訴追側にとって有利な証拠だけで有罪を求めたり、可能な限り重い刑罰を求めるケースには枚挙に暇がないと考えられます。

検察官は「公益の代表者」ですから、被告人に有利な証拠も不利な証拠も全て開示した上でフェアな裁判をするべきでしょう。

被告人の利益を守るべき弁護人には、組織力強制捜査権限もないのです。

今はどうか知りませんが、現場の刑事は、取調べに対する心構えとして、目の前に座っている容疑者を真犯人と思い込んで取調べをするように教育されると聞いたことがあります。

無実の「嫌われ者」がこれに抗おうとすることは容易なことではありません。

なぜ無実の人間が自白してしまうのか?
なぜ冤罪は生まれるのか?

興味を持たれた方へのオススメ本をご紹介します。

自白の心理学 (岩波新書)/岩波書店


>裁判官はなぜ誤るのか (岩波新書)/岩波書店



最後に。

袴田弁護団の一員として頑張ってきた同期のTくん。
今回は本当におめでとう。
偉くなっても、修習中に二人で京都のアイリッシュバーでした「コイバナ」のことは忘れないでね。

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