岡弁(岡山県倉敷市の弁護士)ブログ

岡山県倉敷市で法律事務所を経営する弁護士(若手→中堅)が日々の雑感をつぶやきます。紛らわしいですが岡山弁護士会の公式ブログではありませんのでご了解ください(笑)

井上慶雪著「本能寺の変 秀吉の陰謀」を読みました。

本能寺の変 秀吉の陰謀/祥伝社


ここのところ「清須会議」の流れで本能寺の変がらみの本を色々と読んでいます。

タイトルからも判るとおり、この本の中で著者は本能寺の変が秀吉の陰謀であること(光秀冤罪説)を主張しています。


しかし!!!!


驚いたことに、そのような大胆な(秀吉黒幕説そのものは古典的なものですが…)仮説を立てているにもかかわらず、この本の中でその具体的根拠が語られることはほとんどありません。

強いて言えば、いわゆる「中国大返し」は物理的に困難だという点くらいで、あとは結論先取りの憶測が延々と語られているに過ぎません。


もっとも、私個人としては、本能寺の変前後の吉田兼見の日記(兼見卿記)の正本・別本の内容が対比してあって、どのように書き換えられたのかを一覧することができたことは良かったです。なお、吉田兼見というのは本能寺の変当時のお公家さんで、本能寺の変前後の日記を2種類残しており、このことが様々な憶測を呼ぶことにもつながっています。


また、秀吉が、本能寺の変の直後、摂津の中川清秀宛てに「信長は生きている」というウソの内容の書状を出している点について、自分の到着前に摂津衆が動いて光秀が討ち取られないようにしたのではないかという推測は案外そうかもしれないと思いました。

この書状は、一般的には摂津衆が光秀に味方しないようにクギを刺したものと言われています。また、偽の情報を流さなければならないほど秀吉も必死だったという文脈で引用されることが多いものです。

しかし、秀吉は何が何でも自らの手で光秀を討ち取らなければならないと考えていたはず。

そうすると、単に「必死だった」というよりも、このような偽情報を流すことで、摂津衆を自分の到着まで摂津にクギ付けにし、光秀の戦力を削ぐと共に、自分の到着までに光秀が討ち取られることの無いように(一石二鳥の)工作をした可能性はあるのかもしれません。

恐るべし秀吉。


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