岡弁(岡山県倉敷市の弁護士)ブログ

岡山県倉敷市で法律事務所を経営する弁護士(若手→中堅)が日々の雑感をつぶやきます。紛らわしいですが岡山弁護士会の公式ブログではありませんのでご了解ください(笑)

藤田達生「謎とき本能寺の変」再読。

謎とき本能寺の変 (講談社現代新書)/藤田 達生


最近久しぶりに再読しました。

本書は、いわゆる「足利義昭黒幕説」に立脚した本ですが、私は本書を読んでもその結論に同意できませんでした。

法律家の視点から見ると、その理由は次の二つにあるように思われます。

①「共謀」と「教唆」が明確に区別されていない
②証拠の推認力の評価が合理的でない

まず、1点目ですが、刑法学上「共謀」と「教唆」は次のように定義づけされています。

共謀…犯罪の共同遂行に関する合意
教唆…他人をそそのかして犯罪を実行するに至らしめること

つまり、共謀というためには、「自己の犯罪」として犯罪を遂行する意思を有する場合であって、「二人以上の者が、特定の犯罪を行うため、共同意思の下に一体となって互いに他人の行為を利用し、各自の意思を実行に移すことを内容とする謀議」(最高裁判例)がなされている場合でなければなりません。

一方、教唆犯は、本質的に「他人の犯罪」に加担するものにすぎないものであって、共同犯行の意識を欠き、犯行の決意から実行までを被教唆者の意思に委ねるというものです。

言い換えると、犯罪を共同で実行する事前の謀議があって共同実行の意思が形成されている場合には「共謀」、単に他者をそそのかしたに過ぎない場合には「教唆」ということになります(なお、詳しい人向けにお断りしておきますと、共謀共同正犯と教唆犯の違いに踏み込むとややこしくなりますので、この点は割愛させていただきます。)。

本能寺の変にこれを当てはめると、義昭と光秀が事前謀議を行って、「信長を亡き者にしよう」という合意が成立しているならば「共謀」、単に義昭が光秀に「信長を殺っちまえよ」とそそのかしたに過ぎないのであれば「教唆」ということになります。

私は、「教唆」はあったかもしれないが、「共謀」はなかったという立場です。
義昭が光秀に信長殺しをそそのかした可能性は否定できないけれでも、光秀がそれを請け負ったとはどうしても考えられないのです。

著者の立場は基本的に「共謀説」だと思われるのですが、「共謀」と「教唆」の区別がしっかりとなされていないために、「共謀否定説」からの疑問に答えきれていないという印象があります。

もっと言うと、私の立場は、仮に義昭から光秀への「教唆」があったとしても、かかる教唆行為と光秀による謀反の因果関係は否定すべきというものです。

つまり、光秀が謀反を決意した理由の中において、仮に義昭からの「教唆」があったとしても、それが大きな役割を果たしたとは思えないのです。

法律的には「教唆の未遂」ということになりますね(なお、刑法学上「教唆の未遂」と「未遂の教唆」とは別概念になります。)。

というわけで、法律的な議論は歴史研究にも応用可能ということが言えるんじゃないでしょうか。

いずれ法律家の視点を踏まえた歴史研究書でも出版してみたいですね。

長くなったので、2点目の「証拠の推認力」の話は日を改めて書いてみたいと思います。
当ブログのファンという超少数派の皆様、首を長くしてお待ち下さい。

にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
にほんブログ村